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大阪地方裁判所 昭和30年(ワ)4899号 判決

原告 昌平工業株式会社

被告 愛知工機株式会社

主文

被告は原告に対し金七〇〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三〇年一二月一五日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金二五〇、〇〇〇円の担保を提供するときは仮に執行することができる。

事実

原告は、主文第一、二項と同旨の判決並びに仮執行の宣言を求めその請求の原因として、「原告は左記(一)(二)(三)の約束手形三通の適法な所持人で、(一)の手形はその支払期日の翌日、(二)(三)の手形はそれぞれその支払期日に各支払場所に呈示して支払を求めたがいずれも支払を拒絶された。よつて原告は振出人である被告に対し右手形合計金七〇〇、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和三〇年一二月一五日から完済に至るまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。

(一)  額面金二五〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年七月三一日、支払地及び振出地名古屋市、支払場所株式会社北海道拓殖銀行名古屋支店、振出日昭和三〇年五月二〇日、振出人被告、受取人及び第一裏書人豊田工業株式会社、被裏書人白地(甲第四号証)。

(二)  額面金二五〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年八月一五日、支払地振出地、支払場所、振出日、受取人及び第一裏書人の記載はいずれも(一)と同じ(甲第五号証)。

(三)  額面金二〇〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年八月二五日、支払地、振出人、支払場所、振出日、受取人及び第一裏書人の記載はいずれも(一)と同じ(甲第六号証)。」と述べ、

被告の抗弁に対し、「被告が被告主張の四通の手形を所持すること及び被告主張のとおり丙第一ないし四号の各手形について原告が支払をしていないことは認めるが、右各手形は次に述べるとおり原告においていずれも支払義務のないものである。

原告は豊田工業株式会社(以下豊田工業と略称する)との間で融通手形を交換することゝし、昭和二九年一二月二八日双方額面金六八五、〇〇〇円の約束手形を振り出し交換した(豊田工業振出の当該手形は甲第一〇号証)。そして右原告振出の手形はその後豊田工業の申出により昭和三〇年一月一〇日これを額面金二〇〇、〇〇〇円、同二五〇、〇〇〇円、同二三五、〇〇〇円(丙第一号)の手形三通に書き換えた。次いで原告は昭和三〇年一月三一日豊田工業との間で相互に同年三月三日を振出日とする額面金四〇〇、〇〇〇円、同一〇〇、〇〇〇円、同二〇〇、〇〇〇円の約束手形を交換した(豊田工業振出の当該手形は甲第一ないし第三号証)。

そして原告は右甲第一〇号証の手形に対応する交換手形三通のうち丙第一号を除いた手形二通について昭和三〇年三月五日の支払期日に呈示を受けたので合計金四五〇、〇〇〇円を支払つたのに原告の所持する右甲第一〇号証の手形は不渡りとなつたので、原告は右丙第一号の手形は呈示期間経過後の同年三月九日の呈示でもあり、その支払を拒絶した。その後原告は豊田工業に右甲第一〇号証の手形の不渡りについて交渉した結果その支払のために被告振出の額面金七〇〇、〇〇〇円の約束手形(甲第一一号証)を豊田工業より受け取つた。その際原告と豊田工業との間において、豊田工業は原告に対し前記丙第一号の手形金の請求はしない、甲第一一号証の割引に要する費用は豊田工業が負担する旨の合意が成立した。それで原告は直ちに右甲第一一号証の手形を金融業者に割引に出し、金一二七、七五〇円の利息を差し引いて割引金五七二、二五〇円を受け取り、そのうちから原告が一方的に支払つた前記二通の手形合計金四五〇、〇〇〇円を差し引き回収し、残金一二二、二五〇円を生じた。これは豊田工業に返すべき筋合いであるが、甲第一ないし三号証の手形の不渡の場合を考慮し、しばらく原告が預かることゝした。ところが案の定右昭和三〇年一月三一日の各交換手形も原告側のみ支払い、豊田工業振出分の甲第一ないし第三号証の手形はいずれも不渡りとなつた。そして前記甲第一一号証の手形についてその支払期日直前に豊田工業から原告に対しこれを支払期日を延期した本件手形(甲第四ないし第六号証)と差し換えて欲しい旨の申出を受け原告はこれらの手形を受領したが、結局差し換えることができず甲第一一号証の手形も期日に不渡りとなつた。

それで原告は前記割引に出した甲第一一号証の手形不渡りの後始末をつけてこれを受け戻し、昭和三〇年五月末頃原告が被告と豊田工業に対し右不渡手形の決済を迫つたところ、三者間に次のような話合ができた。

(イ)  甲第一一号証の手形は本件手形(甲第四ないし第六号証)で決済する。

(ロ)  甲第一ないし第三号証の手形については、被告と豊田工業において右合計手形金額七〇〇、〇〇〇円から前記原告の預り金一二二、二五〇円とこれに対する利息金一五、五八七円の合計金一三七、八三七円を差し引いた残額金五六二、一六三円を各自支払う。

(ハ)  被告は原告が本件手形(甲第四ないし第六号証)の手形割引のために支払つた金六一、五〇〇円を負担する。

そしてその後被告において右金五六二、一六三円及び金六一、五〇〇円を一度に支払えなかつたので、これを分割支払するためにその方法として、原、被告間で次のように取り決めた。

(イ)  右金六一、五〇〇円の支払いについては、原告は被告から右同額面の約束手形(甲第七号証)を受け取ると同時に、原告は被告に対し支払期日同日の額面金五〇、〇〇〇円の約束手形(丙第二号)を手渡し、右両者の手形決済によつて生ずる差額を右支払金額の一部弁済に充当し、同様の方法を完済まで繰り返す。

(ロ)  又金五六二、一六三円の支払いについても、右と同様に原告は被告から額面金二七〇、〇〇〇円(甲第八号証)及び同金二九二、一六三円(甲第九号証)を受け取ると同時に、原告から被告に対し支払期日同日の額面金二二〇、〇〇〇円(丙第三号)及び同二三〇、〇〇〇円(丙第四号)を手渡し、右双方の手形の決済によつて生ずる差額を右支払金額の一部弁済に充当し、これを右完済まで繰り返す。

ところが右丙第二ないし四号及び甲第七ないし九号証の各手形はいずれも期日に不渡りとなつた。

以上によつて明らかなとおり、被告は丙第一号の手形債権はこれを抛棄したものであり、又丙第二ないし四号の手形は融通手形として相互に交換的に振り出し交付したものであるのに、被告振出の右甲第七ないし九号証の手形金の支払のない限り原告もその支払義務を有しないものである。したがつて被告の相殺の抗弁は全然理由のないものである。」と述べ、

証拠として、甲第一ないし第一一号証を提出し、証人佐竹勝、同若林輝夫(第一、二回)の尋問の結果を援用した。

被告は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として、「原告の主張事実はすべて認める。しかしながら以下述べるとおり相殺により被告には本訴手形金の支払義務はない。

被告は左記(1) (2) (3) (4) の約束手形四通の適法な所持人である。

(1)  額面金二三五、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年三月五日、支払地及び振出地大阪市、支払場所株式会社三菱銀行大阪西支店、振出日昭和三〇年一月一〇日、振出人原告、受取人及び第一裏書人亜東工業株式会社、被裏書人白地(便宜上この手形を丙第一号と呼称)。

(2)  額面金五〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年七月三一日、支払地及び振出地大阪市、支払場所株式会社河内銀行京橋支店、振出日昭和三〇年六月一日、振出人原告、受取人被告(前同丙第二号と呼称)。

(3) 額面金二二〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年九月五日、支払地、振出地、支払場所、振出日、振出人及び受取人の記載はいずれも(2) と同じ(前同丙第三号と呼称)。

(4) 額面金二三〇、〇〇〇円、支払期日昭和三〇年九月一〇日、支払地、振出地、支払場所、振出日、振出人及び受取人の記載はいずれも(2) と同じ(前同丙第四号と呼称)。

そして被告は、右手形中(1) の手形は昭和三〇年三月九日、(3) (4) の手形は各支払期日にその支払場所に呈示して支払を求めたが、いずれも支払を拒絶されたので、原告に対し右手形の合計金七三五、〇〇〇円の債権を有するものである。被告は原告に対し本訴の昭和三一年二月二七日の口頭弁論期日において被告の有する右手形金七三五、〇〇〇円をもつて、本訴請求の金七〇〇、〇〇〇円と対当額について相殺する旨の意思表示をする。よつて原告請求の手形金債権はすべて消滅に帰したものである。」と述べ、

抗弁に対する原告の主張に対して、「原告が甲第七ないし第九号証の約束手形三通を所持していることは認めるが、その他の事実は否認する。仮に原告の主張するように被告の所持する丙第二ないし第四号の手形金債権による相殺が理由なしとしても、被告はなお丙第一号の手形金債権を有するから、前述相殺の意思表示により右債権二三五、〇〇〇円と本訴請求とが対当額について消滅に帰していることを主張する。」と述べた。

なお被告は書証としての丙第一ないし第四号の各写のみを提出し、書証として丙第一ないし第四号の手形はこれを提出しなかつた。

理由

原告が約束手形(一)(二)(三)の所持人で、(一)の手形はその支払期日の翌日、(二)(三)の手形はそれぞれその支払期日に各支払場所に呈示して支払を求めたが、いずれも支払を拒絶されたことは、当事者間に争いがない。

それで被告が昭和三一年二月二七日の本件口頭弁論期日において原告に対してなした相殺の抗弁について考えることにする。

手形債権を自動債権として民法上の相殺を主張するには、手形の呈示証券性及び受戻証券性から考えて、原則として当該手形を相手方に呈示し交付することを必要とし(同趣旨大正七年一〇月二日大審院判決等多くの判例)、例外として当事者間において手形の呈示授受を要しないで相殺の効力を生じさせる特約のある場合は、かような特約の効力までも否定すべき理はないから手形の呈示交付なくして相殺することができるし(同趣旨大正六年一〇月一〇日大審院判例)、又相殺をしても右手形債権の一部が残存する場合には残存手形債権の行使のためになお手形を必要とするから、手形の交付なくして相殺することができるが(同趣旨昭和七年二月五日大審院判決、昭和二九年六月一四日東京高裁判決、昭和三二年一二月一一日京都地裁判決)、この手形債権の一部が残存する場合においても、少なくとも手形の呈示は必要であると解するのが相当である(同趣旨右京都地裁判決)。相殺者が被相殺者の受働債権の存在を争いながら、仮定的に「もし債務があれば相殺する」という(かような相殺は民法第五〇六条但書の趣旨に反するものではないから有効と解される)場合を例外としての手形交付不要の一つに数えられるか、この場合相殺者の判断どおり真実受働債権が存在しないならば、相殺は実体上無意義に帰し、従つて相殺者は相殺に供した手形債権の行使のために、なお当該手形を必要とするに至るから、この場合を、前記の相殺後手形債権の一部が残存する場合と同列に考えてもよさそうにみえる。しかしながら、それは、相殺権は相殺者のなす一方的な行為によつて相手方の債権を消滅させる権利であること及び手形の受戻性が手形債務者の利益のために認められたものであることを忘れた考えであつて、受働債権の存否についての相殺者の一方的な判断(それが恣意的でないという担保はない)のもとに、容易に被相殺者の有する手形受戻権を奪いつつ相殺の効果を認める不合理を冒すものというべきであるから、この場合を手形交付不要の一場合とすることはできないものといわなければならない。

次にこの逆の場合すなわち被相殺者において相殺に供される自働債権たる手形債権の存在を争う場合であつて、しかも受働債権の証書を被相殺者が有する場合もしくは受働債権も手形債権である場合はどうか。相殺は相手方の協力行為を要せず一方的な行為によつて効力を生ずるものであるから、民法第四八六条の規定は相殺に準用がないものというべきであるが、民法第四八七条は相殺にも類推適用さるべきで、相殺によつて受働債権の全部が消滅したときは、相殺者は債権証書の返還請求権を有するものと解するのが相当である(同趣旨大正一一年一〇月二七日大審院判決参照)から、これとの関係を考えねばならないし、受働債権が手形債権であるとき、受戻証券性の要請から当該手形の交付との関係を考えねばならないのである。設例の場合においては、被相殺者は自働債権の存在を争うのであるから、相殺の効力発生を否定し、債権証書や手形の返還要求に応じないことが当然予想され、従つて相殺者が対抗上手形を手許に残すことを容認することに一理があるように思われる。しかしながら、被相殺者から債権証書や手形の返還が期待されないからといつて、この場合を相殺者の利益のために手形交付不要の例外の一つに加えることは認むべきでないと解するのが相当である。なんとなれば、相殺は単独行為であるから、被相殺者の態度行為のいかんを問わず、独立にその効力を論じ法律関係の変動を考えなければならない。しかるに債権証書の返還請求権のゆえにもしくは手形の受戻証券性を貫くのために、被相殺者の自働債権の存在の認否ひいて相殺の効力発生の認否の態度いかんに基く債権証書の返還もしくは手形の返還の実現が期待されるかされないかによつて、相殺のごとき単独行為の効力要件に異同を設ける(すなわち債権証書や手形の返還が期待されない場合は手形債権による相殺の効力要件として手形を交付せずたゞ呈示のみで足りる等)ことにすると、いたずらに法律関係を紛糾させることになり、被相殺者の地位に著しい不利益を加えることにもなるので、民法第五〇六条但書の立法趣旨からいつて許されないと考える。なお「受働債権の債権証書の返還もしくは手形の受戻を条件として相殺する」という条件付相殺は、民法第五〇六条但書に違反し、相殺の単独行為性に反するから許されない。そうすると、相殺者としては、適法な相殺を主張するためには、やはり前述の原則どおり、手形を交付することを必要とすると解すべきである。

そして以上の理由は訴訟上の防禦方法として裁判上において相殺が主張される場合にもなんら異なるものではないのである。

裁判上における相殺を、私法上の効果を目的とする訴訟行為という観念によつて、その行使される権利が私法上の権利でもその行使自体は訴訟行為であるから裁判所に対してなされるものであり、従つて裁判外において相殺をなす場合のように相手方に対してなされるものでないから、裁判外の相殺とその行使の要件方式を異にした場合でもなお相殺の効果の発生を認めようとする考え方があるが(昭和九年五月二二日大審院判決参照)この考え方には賛成できない。相殺が実体法上の法律行為であるのに実体法によることなく訴訟法の面からその法律効果を論じようとするものであるからである。裁判上における相殺も、口頭弁論を利用して相殺の意思表示がなされその効果が訴訟上主張されているものと観察すべきで、右私法行為と訴訟行為とは実体法と訴訟法という各独立の法体系上の行為として別個にその要件、方式、効力が検討されなければならないのである。それ故、訴訟行為たる相殺の抗弁を考えるにも、訴訟行為としての適否のほかに実体法に従い相殺の要件等を調べなければならないのであつて、相殺権行使の方法が実体法上不適法である場合には相殺の効力を生ずるに由なく、相殺の抗弁は排斥を免れないのである。

以上の理により裁判上であると裁判外であるとを問わず民法上の相殺を主張するには、原則として当該手形を相手方に呈示し交付することを要すると解すべきところ、従来から判例の見解が「訴状の送達に手形の呈示の効力がある」(昭和二年一二月一〇日大審院判決等)としているので、このこととの関係をなお考えて見る必要がある。

訴状の送達に手形の呈示の効力があるというのは、すでに確立された判例法であるが、この判例法は訴状の送達が手形の呈示と全く同一の効力があるとしているものではなく、たゞ債務者を履行遅滞に付する点について訴状の送達が一般に付遅滞の効力を生ずるものであるから、手形金請求訴訟の場合にも手形の呈示と同一の履行の請求の効力があるとしているものにすぎない。それ故この判例法を他の場合にまで拡張し、訴訟行為たる面を帯有する以上はすべて手形の呈示不要であるとの論を導き出すことは許されないのであつて、又相殺の抗弁の提出に手形の呈示不要と解さなければ「訴状の送達に呈示の効力がある」とすることと彼此権衡がとれないものとも考えられない。右判例法を手形債権による相殺の場合に援用し手形の呈示不要と解する考え方(前記東京高裁判決)は、すでに説示した相殺を実体法の面からみることを怠る誤りを犯さなければできないことであつて、この考え方には従い得ない。

さて、本件についてみるに、本訴において被告のなした右相殺の意思表示は、手形の呈示ないし交付を伴わないものであり、手形の呈示交付不要の特約の存することの主張立証もない。してみると本件相殺は相殺の効力を生じないものというべく、従つて相殺の抗弁は失当である。

そうだとすると、被告は原告に対し(一)(二)(三)(甲第四ないし第六号証)の手形三通の合計金七〇〇、〇〇〇円及びこれに対する満期日の後である昭和三〇年一二月一五日から支払済に至るまで手形法所定の年六分の割合による利息を支払う義務がある。

よつて原告の本訴請求を認容し、民事訴訟法第八九条、第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平峯隆 松田延雄 山田二郎)

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